自分は抽象的に、他人は具体的に
今回は、PHPビジネス新書より「『具体⇄抽象』トレーニング」を読んで思ったことを書いていきます。
「具体」と「抽象」を行き来すべし
この本では、具体・抽象とは何か、それらのメリット・デメリット、具体→抽象→具体の思考プロセスなどを紹介しています。具体・抽象を理解することでより俯瞰的に物事を見られるようになるな、と思いました。気になる人は是非読んでください。
レッテルは他人を抽象的に捉えている証拠
さて、この本で印象的だったのは自らが思う自分像と他人にとっての自分像のずれがどこからきているのか、という話です。
誰しも一度は「〇〇ってああいうやつだよね」とか「〇〇はそういうキャラだから」という会話をした経験があると思います。さらに、人から「あなたってそういうキャラだよね」と言われて違和感を覚えたこともあるのではないでしょうか。私も人からキャラ設定されるのがキライです。人にはレッテルを貼るのに、人にレッテルを貼られるのはイヤ。なぜこんなことが起こるのでしょうか?これは自分をより特別(つまり具体的)と考え、他人は十把一絡げ(つまり抽象的)に考えているからだそうです。
この本では具体の特徴は他との違いに注目すること、抽象の特徴は他との共通点に着目することとあります。つまり、具体的な存在の自分については他人との違いに目が行きがちであり、抽象的な存在である他人は共通点で括ってしまうようです。そして、他人を共通点でまとめることはすなわちレッテルを貼るということなのです。
無意識のうちに抽象的に捉えてる
この話を聞いて、自分にも当てはまる経験があります。私は大学でロボット製作を行っている団体に所属しています。この団体では機体の設計・製造をするメンバーとプログラムを製作するメンバーに分かれており、私はプログラムを担当しています。この春、新入生に団体を宣伝するための動画を製作することとなり内容を検討するための会議を行ないました。そこで私はプログラム関連について「その表現だと違う」とか「やってる内容と違う」と細かくダメ出しをしていました。にもかかわらず設計の紹介について議論しているのを聞いて、「そんな細かい話、新入生には分からんだろ」と思っていました。
このことをよくよく考えると、先に述べた具体・抽象のバイアスがかかっていたなと思います。自分が扱っている内容は特別に思う一方で、携わっていないことについては深く考えていませんでした。ほかのとこでも無意識にバイアスをかけていたと思うと恐ろしいです。
自分は抽象的に、他人は具体的に
では、このようなバイアスを避けるにはどうしたらいいのでしょうか?この本では「自分を一般的に捉える一方、他人については詳しく知ろうとするべき」と言っています。これくらいがちょうど良いバランスなんだとか。心に刻んでおきましょう。
最後に
以前紹介した、「一億三千万人のための『論語』教室」より他人を具体的にみるヒント。
子曰く、其の以てする所を視、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや。人焉んぞ廋さんや。